風邪をひく|「バカ好き」003-text

主人公の女性カップル(「バカ好き」)

  • 初出:note・2017年1月28日更新分 (掲載時「槍場さん、風邪をひく」の改題)
  • 原案・原作 担当:中村 珍
  • 文章 担当:中村 珍
暗い部屋でクマのぬいぐるみがパソコンを見ている

風邪 効く 食べ物 〔検索〕

 

神様〜!ありがとう〜! いやちがう、

 

見慣れた女の子の写真が携帯電話の画面に表示されたのは、

風邪をひいた私がフラフラとトイレから戻って、寝室のベッドに倒れ込んだとき。
 焦げ茶のパンツスーツを着た女の子は、どこか会議室のような場所でソファに腰掛けて、こちらを見て微笑んでいる。私が“ネコちゃん”と呼んでいる世界一イイ女の子は、私から勝手に「ネコちゃん」「ネコちゃん」と呼ばれているだけで、正しくは、“寧子(ねいこ)”。私にとって、四六時中会いたい子。
 着信画面に表示された写真は、お付き合いを始める前にFacebookのアルバムからくすねたもので、いつ、どうやって、誰に撮られた写真なのか私は知らないけれど、綺麗に仕上がっているからきっと、写真の上手な人が高級なカメラで撮ったものだと思う。
 正直、電話は嫌い。友達からの着信もだいたい居留守を使って生きてきたし、着信画面なんて誰の名前が表示されようが、これまで構わなかったけれど、その子と出会ってからは、たとえ二日酔いの寝惚けまなこでも、ほとんど瞼が開かなくても、一目見て誰からの電話か分かる必要が私にはどうしてもあった。いつだって声を聞きたかったし、話すと楽しかった。いつの間にか、電話のない日を寂しく思うようになった。

端的に言って、私は恋をした。

気づいたのは、ある日。電話が切れた途端、ふいに涙が溢れた夜だった。電話帳に写真を登録しておけば、着信があったとき、画面いっぱいにその子の笑顔が映し出される。
  電話に出ると、その女の子はいつも、挨拶より前に、決まってこう聞いた。
「今なにしてると思う?」
 茶番だった。毎回言うことは決まっていて、今なにをしているか尋ねると、得意げにこう答える。
「ん?槍場さんと電話してるー…。」
 素っ気ない態度を取ることも多いあの子が電話口で必ず繰り広げるこの茶番が、私の楽しみ。


  会いたいと思っている時に受ける電話は心が弾むけれど、風邪をひいているから会いには行けない…。それに、いつも私が訪ねて行くばかりで、あの子はあまり私の家には来ないし、その上、明日から三日間は大事な仕事が続くと言っていたから、私の風邪をうつされるわけにもいかないだろうし、看病に来てくれるなんていう甘い話はないだろうな。

都会の夜に街の灯り

「行っていい?」
大丈夫だよ。
来ても。

と諦めた矢先、

電話口の女の子は、私に尋ねた。
「…今から行っていい?」
 たとえば頭の中に和太鼓があって、ずっと叩かれているのかと思うほど頭痛が酷い。喉も痛くて、焼けた石でも張り付いているみたい。声も嗄れたし、体はだるくて、背骨のあたりがずっと痛い。つらい、としか言いようがない。
 つらいけれど、風邪への心配が彼女の足を私に向けてくれたなら、風邪をひいて本当によかった。電話を受けた時の心の弾みなんて弾んだうちに入らないほど浮かれた気持ちになったのを押し殺すようにして、
「来ても大丈夫だよ。」
と答えた。無理にぶっきらぼうにしなければ、調子に乗って仮病を疑われるほど私は浮かれていた。
 彼女はいつも通りの落ち着いた声で、また連絡する、と言って電話を切った。私は、神様〜!ありがとう〜!と思いながら、いやちがう、とも思った。感謝すべきはネコちゃんの行動力で、神様ではない。しかしネコちゃんが神様である可能性は?と思うと、神様ありがとう、も成立する。
 神様、しかし私の実家は多分仏教でした、なんまんだぶ。じゃあ仏様?でも、仏様という言い回しでは、ちょっと死んでしまったみたいだな、とも思った。思ったついでに、この子が死ぬまで私たちの仲が続くといいな、とも思ったし、私より少し若いこの子を先に亡くして、この子のいない世界を生きるくらいなら、途中で仲違いでも起こして離れたほうがマシかも知れない、とも考える。


東京の夜と人混み

誰もこの子の素晴らしさに
気付きませんように。

街を歩いている姿を想像した。

数えきれないほどの人混みの中を歩く彼女は、今晩何を食べようか、どうやって過ごそうか考えながら、うちに来る途中でお惣菜か何かを選ぶのかもしれない。髪を流しているような気もしたし、髪を後ろでひとつに縛っているような気もした。上着はこの前少し無理をしてプレゼントしたコートじゃないかな、と思う。

 誰よりも彼女の幸せを願う反面、
(この夥しい数の人の中で誰もこの子の素晴らしさに気付きませんように…。)
とも祈ってしまった。
(この子最高なんです。まあ、私だけが知っていればいいんだけど。)
 見慣れた靴を履いた彼女は、私の想像上の街で、足取りを軽く、手土産を探してウロウロしていた。きっと優しい顔で。私の喉が痛いことを忘れて私の大好きな衣の硬い揚げ物を買ってきてくれるのかもしれないし、私の喉が痛いことに気づいて柔らかいものを買ってきてくれるのかもしれない。なんだっていい。あの子が買ってくれたことへの嬉しさが世界一を下回ることなんて絶対にない。

東京の夜の街並み

これが愛なら冷静だけど、
恋もあるから、バカになる。

 一秒でも早く会いたくて彼女を迎えに行った。風邪をひいているのに。彼女は私の家の場所を知っているのに。バカだな、と思った。愛があったら冷静でいられそうなものなのに、恋もしているから、どんどんバカになる。


 申し合わせた近所のスーパーに行くと、ショッピングカートを押しながら歩いてくる小柄な女の子が見えた。
(ネコちゃん!)

 とっくに気づいていたけれど、少しだけ気づかないふりをした。少し落ち着かないと、はしゃいで飛びついて、キスして、風邪をうつしてしまいそうだったから、しばらくキョロキョロして見せてから、ようやく気づいたふりをした。

バカみたい、バカみたい、バカみたい、

ごめんなさい!このお話のサンプルはここまでです。

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